診療・各部門
会長挨拶
社会保険看護学院の卒業生として
第2回生 長尾真澄
私は開校間もない第2回生です。この学校で学んだことを誇りに思い感謝しています。
昭和31年に入学した頃は、日本は戦後復興の時代、教員も学生も「日本の看護を創るのだ」との思いでした。教員と一緒の寮生活をしながら、私達は良く学びました。学習と実習が17時に終わると夕食の配膳や入浴の準備(風呂のガス点火)、1年生から3年生の順番を決めるなど自治的に運営していました。まだ食料や生活用品も貧しく、コッペパンや焼き芋がごちそうの時代、厳しい規律の寮生活でした。1回生としての誇りの高い優しく厳しい先輩と、厳しいながら時にちょっとしたことをさりげなく見逃して下さる優しさを持つ都築公先生と共に暮らした寮生活、そのいろいろが今でも懐かしく感じられます。
また、八田善之進校長が皇室の侍医頭であったことから皇室とのかかわりが深く、秩父宮妃殿下から校歌を賜り、1回生の卒業式にご臨席いただいたことは、大変誇りに思い意欲の原動力にもなりました。
私は卒業後、井の中の蛙にならないよう聖路加国際病院の研修を2年間受け、社会保険中央病院に戻り、病棟勤務、看護学校の教員、病棟勤務と多くの経験をしました。
聖路加病院での研修時、全国から来る実習生に、社保の卒業生だというと「良い学校」だと羨ましがられたことは驚きでした。そこで自分の学校を改めて誇りに思ったものです。それは、都築先生が副学校長として開校に尽力し、教育にも常に“良い看護を追い求める”という都築イズムがあったことだと思います。都築先生は、戦地から帰ってきてからこの学校を作り、後に厚生省の看護課長を務められ、日本のみならずアジアの看護教育にも貢献されました。
卒業生の多い病院では、地域の方達からその看護は高く評価され、卒業生が実践する看護も高く評価されていることはあちらこちらから声が届きました。大変誇りに思います。
日本の看護の変遷も体験した時代でした。臨床も学校もギリギリの人員で、志は高くても常に現状打開をしなければと紛争の歴史でもありました。看護人員の確保や教育の充実と人材の育成は、いつの時代も必要でした。どうしたら政治や国を動かせるのか、看護協会や連盟の活動を通じて、全国的調査やデーターを示すことでそれらも少しずつ改善されてきました。看護婦という職業の認識も変化し、その昔より向上してきたことに心から嬉しく思います。
戦後、国民皆保険診療の国策により保険証で国民は診察を受けるようになり、厚生省社会保険庁は全国の各県に53の社会保険病院と14の看護師・保健師の学校を設立しました。その一環として昭和30年社会保険中央看護学院として創立され、昭和53年に社会保険看護専門学校となり、社会保険連合が解体された後にJCHO東京山手メディカルセンター附属看護専門学校と改名されるという変遷がありました。現在の学校教育の大きな流れと、医療体制の中での看護教育の在り方のはざまに、我が校も閉校という残念な結末を迎えてしまいました。大変残念ですが、時代の流れにはあらがうこともできません。
69年間受け継がれてきた看護の魂が卒業生を通じて、どこかに残り続けることを願うばかりです。
2023.1.12