同窓会 - 学校の歴史

診療・各部門

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歴代学校長・副学校長・教務部長


学校長

昭和30年4月~昭和38年3月 八田 善之進
昭和38年4月~昭和45年3月 清水 清・渡辺 茂夫
昭和45年4月~昭和46年3月 山口 寛人
昭和46年4月~昭和63年3月 高木 忠信
昭和63年4月~平成10年3月 瀬田 克孝
平成10年4月~平成13年3月 三浦 恭定
平成13年4月~平成21年3月 斎藤 寿一
平成22年4月~平成30年3月 万代 恭嗣
平成30年4月 ~ 現在    矢野哲


副学校長

昭和56年11月~平成 7年3月 都築 公
平成 7年 4月~平成10年3月 吉田 喜久代
平成10年 4月~平成15年3月 櫻井 ソノ
平成15年 4月~平成19年3月 荒井 碧
平成29年 4月~平成29年 渡部 美智子
平成29年 4月~令和3年  長谷川美穂
令和3年 ~ 現在     野村仁美


教務部長

昭和43年3月~平成8年3月  有馬 実子
平成19年4月~平成26年4月  渡部 美智子
平成26年4月 ~ 現在、   小川潤子


学校のあゆみ


昭和30年4月 社会保険中央看護学院として創立。
        八田善之進学院長 都築公教務主任。
     6月 地上2階地下1階建ての校舎完成。宿舎は2階。
        所在地 東京都新宿区西大久保3-46
        昭和33年3月 第1回生20名卒業。
        同日、学院歌の発表会を兼ね、秩父宮妃殿下を迎えて卒業式を挙行する。
        学院歌の作詞は秩父宮勢津子妃殿下、作曲は小松耕輔氏。
昭和53年1月 校名を社会保険中央看護専門学校と改める。
昭和59年5月 秩父宮妃殿下ご臨席のもと、創立30周年記念式典および祝賀会の挙行。
平成 2年4月 新カリキュラムによる教育開始。
平成 3年3月 新校舎竣工。
        所在地 東京都新宿区百人町3-22-8
     4月 1学年の定員を20名から30名とする。
平成 4年4月 推薦入学試験制度導入。
平成 7年4月 専修学校の専門課程修了者に、専門士の称号が付与される。
     6月 都築公顧問は、第35回フローレンス・ナイチンゲール記章受賞された。
平成 9年4月 新カリキュラムによる教育開始。
平成13年4月 社会人特別入学制度の導入。
平成16年5月 学校創立50周年記念式典、祝賀会の開催。記念誌発刊。
平成21年4月 新カリキュラムによる教育開始。
平成23年4月 ユニフォームにパンツスタイル導入。


校歌。作詞は秩父宮勢津子妃殿下

旧校舎時代の戴帽式

旧校舎時代の戴帽式2

旧校舎時代の戴帽式3

戴帽式(昭和63年ごろ)

戴帽式(平成初期)

都築先生叙勲祝賀会

現在の戴帽式

現在の新校舎

現在の戴帽式

会長挨拶

社会保険看護学院の卒業生として

第2回生 長尾真澄

 私は開校間もない第2回生です。この学校で学んだことを誇りに思い感謝しています。
 昭和31年に入学した頃は、日本は戦後復興の時代、教員も学生も「日本の看護を創るのだ」との思いでした。教員と一緒の寮生活をしながら、私達は良く学びました。学習と実習が17時に終わると夕食の配膳や入浴の準備(風呂のガス点火)、1年生から3年生の順番を決めるなど自治的に運営していました。まだ食料や生活用品も貧しく、コッペパンや焼き芋がごちそうの時代、厳しい規律の寮生活でした。1回生としての誇りの高い優しく厳しい先輩と、厳しいながら時にちょっとしたことをさりげなく見逃して下さる優しさを持つ都築公先生と共に暮らした寮生活、そのいろいろが今でも懐かしく感じられます。

 また、八田善之進校長が皇室の侍医頭であったことから皇室とのかかわりが深く、秩父宮妃殿下から校歌を賜り、1回生の卒業式にご臨席いただいたことは、大変誇りに思い意欲の原動力にもなりました。

 私は卒業後、井の中の蛙にならないよう聖路加国際病院の研修を2年間受け、社会保険中央病院に戻り、病棟勤務、看護学校の教員、病棟勤務と多くの経験をしました。

 聖路加病院での研修時、全国から来る実習生に、社保の卒業生だというと「良い学校」だと羨ましがられたことは驚きでした。そこで自分の学校を改めて誇りに思ったものです。それは、都築先生が副学校長として開校に尽力し、教育にも常に“良い看護を追い求める”という都築イズムがあったことだと思います。都築先生は、戦地から帰ってきてからこの学校を作り、後に厚生省の看護課長を務められ、日本のみならずアジアの看護教育にも貢献されました。

 卒業生の多い病院では、地域の方達からその看護は高く評価され、卒業生が実践する看護も高く評価されていることはあちらこちらから声が届きました。大変誇りに思います。

日本の看護の変遷も体験した時代でした。臨床も学校もギリギリの人員で、志は高くても常に現状打開をしなければと紛争の歴史でもありました。看護人員の確保や教育の充実と人材の育成は、いつの時代も必要でした。どうしたら政治や国を動かせるのか、看護協会や連盟の活動を通じて、全国的調査やデーターを示すことでそれらも少しずつ改善されてきました。看護婦という職業の認識も変化し、その昔より向上してきたことに心から嬉しく思います。

戦後、国民皆保険診療の国策により保険証で国民は診察を受けるようになり、厚生省社会保険庁は全国の各県に53の社会保険病院と14の看護師・保健師の学校を設立しました。その一環として昭和30年社会保険中央看護学院として創立され、昭和53年に社会保険看護専門学校となり、社会保険連合が解体された後にJCHO東京山手メディカルセンター附属看護専門学校と改名されるという変遷がありました。現在の学校教育の大きな流れと、医療体制の中での看護教育の在り方のはざまに、我が校も閉校という残念な結末を迎えてしまいました。大変残念ですが、時代の流れにはあらがうこともできません。

69年間受け継がれてきた看護の魂が卒業生を通じて、どこかに残り続けることを願うばかりです。

2023.1.12